
故人は中学からテニスを始め、高校時代には熊本県のナンバーワンになるほどに腕をあげ、社会人になってからも週末になるとテニスコートに通っていました。40歳のときには、知人に頼まれ、コーチとして岩手県まで出かけていました。
そんなテニスなしの生活は考えられない人生を送った故人の足跡を表して見送りたい、と担当ディレクターに相談したところ、実現したのが、「白い花のラケット」の祭壇です。
ポロシャツとスラックスのテニスウェアに愛用のリストバンドを身につけた故人の姿と、この祭壇は、「いかにもMさんらしい」と会葬者に喜んでもらえました。
葬儀を担当していただいたディレクターの椙原さんには、いろいろな相談ができ、適切なアドバイスを受け、とても感謝しています。おかげで最後まで落ち着いた気持ちで見送ることができました。
M様

昭和から平成にわたり50年間看護婦として働いた母は、3つの病院で長く婦長を務めるほど厚く信頼された一方で、忙しい勤務の合間を縫って私達の洋服を作ったり、夜勤後にお弁当を作って運動会に駆けつけるなど、家族のことも大切にしていました。50歳を前に離婚を経験しましたが、それまで通り病院に勤め、私を大学まで通わせてくれました。
そんな母は、私達姉弟一家と楽しく時間を過ごした後、突然この世を去ったのです。
「万一のとき、葬儀ではじめじめした雰囲気は嫌、参列した方にも失礼のないように」と言っていた母の思いを大切にして送ってあげたいと思い、歌が好きでしたから、美空ひばりやテレサ・テンの曲を生演奏で流し、無宗教形式の音楽葬にしました。
祭壇には大好きだった赤やピンクの花を沢山飾ってもらいました。病院関係の友人に連絡をすると、20年以上も前に勤めていた病院の方々をはじめ、教え子だった若い看護師さんまで80名以上が駆けつけ、盛大な葬儀になりました。
A様

主人は、何度か事故や病気の治療で辛い日々を送ったこともありましたが、最後は特別な延命処置はせず、眠るように最期を迎えました。
ニチリョクさんとのご縁は、友人が興安寺の檀家だったことから堂内陵墓を知ったことです。私がいいな、と思って主人に相談したら、思いのほか喜んでくれ、即決しました。
葬儀では、担当の福田ディレクターに何から何まで相談し、わがままを聞いていただきました。全て滞ることなく進めていただき、大変感謝しています。
祭壇は、白い花が好きだった私の希望で、百合とフリージアを中心に、白い花で統一して作ってもらいました。式場に入って祭壇を見た瞬間、思わず“きれい、うれしい”といってしまいました。
柩には、葬儀で飾られた主人の大きな遺影、私達と娘達の結婚式で着たモーニング、それに競馬が大好きだったので、なくなったときに財布に入っていた馬券も入れてあげました。
YM様
